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競争力のある人材ほど評価されない評価制度の矛盾


普段は表に出ない影の人格者。地頭が良い人。日頃の成果は平凡だけど、いざという時に一番頼りになる人。

将来リーダーとして組織を率いてほしいのはこんな人ではないでしょうか。


また別のタイプですが、一般的な物差しで評価するとデータ上では平均以下。ある一点だけが飛び抜けている人。平たく言うと、ある領域においては変態的な人。

日本の物差しでは計測不能なはみ出た人は超優秀な場合が多いです。


あらゆるモノがコモディティ化し、他社との違いが明確にならない時代の中で、圧倒的な存在感とブランド力で一人勝ちをしている会社のリーダーはこれらのような人が多い印象です。


一方で、このような「変態的」な人や「地頭力」に優れた人にはなかなか出会わないという声を耳にします。どこに行けば会えるの?と。


「出会わない」という声をいわゆる世間の偉い人達から聞くたびに、そりゃぁそうだろうなぁと妙に納得してしまいます。


少し考えてみると、社会の構造上、彼らはそういう超優秀な人に最も出会いそうにない人達だからです。




いわゆる"一般的な"社会構造

会社の幹部を選ぶ際に、リーダーは自分の知識と経験から判断し適切な人材を登用します。


その場合、いわゆる優秀な業績をあげてきた人や社内での評価が高い人が選ばれるケースがほとんどです。


もちろん、その人選によって、向こう3年間くらいはある程度の成果は計算できるのだとは思います。


組織の中でも昇格の人選にはある種の納得感があり、仮に多少の意外性があったとしても「なるほど!」と後で納得しうる人選になる場合が多いです。


これまで大した成果を上げていない人や、或いは、いわゆる変わり者で経営層のやり方とは必ずしも方向性が一致しない人はまず選ばれません。誰から見ても評価が高い優秀な人が登用されるのです。


民主的でガラス張りな意思決定プロセスが良しとされる日本の社会においては、このように社員の多くから納得される人事が良い人事だと言われる傾向があります。



日本の社会で「優秀」と評価される人の実力は?

では、このプロセスで選ばれた優秀な人は次々とイノベーションを起こし、会社を変革して発展させることができる強いリーダーたりえるでしょうか。


地頭力があり、いざという時にこそ本当の力を発揮する強いリーダーになれる人なのでしょうか。コモディティ化の中で市場競争力の強い会社を作れる人なのでしょうか。


いかがですか?

こう聞かれると返答に困るのではないでしょうか。


平時であれば分かりやすく優秀で人望も厚い人で会社のリーダーは十分に務まるとは思うのですが。


では、はたして今は平時なのでしょうか?

確かに有事ではないです。戦時下でもないし、リーマンショック級の経済恐慌の真っ只中でもありません。

いわゆる、平和で安全で便利な世の中です。


なのに、成績優秀で評価が高い人よりも、数値では測れない変わり者や影の人格者、データで計測できない地頭力が強い人等が求められています。


これは、社会は確かに平時であっても、経済状況は有事であることを示していると言えます。


平時に最も有効とされる「過去の成功事例やデータを分析することにより未来の計画を遂行する」というパターンでは勝ち続けられない時代だからです。


しかし、細かい評価制度がある会社であればあるほど、これらのような計測不能な"影の実力者”が人選されない構造になっているのです。



想定できないほど強い人は評価されない構造上の矛盾

確かに、細かく整った評価制度は、社内で大多数を占める一般社員の評価にはある程度機能する面もあるとは思います。

それは、意思決定プロセスが標準化されることにより一定の公平感が保たれるからです。


きっと、細かい評価制度の構造上、平凡だけど真面目に一生懸命やるのが得意な管理職は評価が上がるようにできているのだと思います。「地味でもひたすら真面目にがんばれば評価される」というこの国では好まれそうなストーリーが背景にあるからです。


その一方で、非凡で努力のプロセスも変態的でマネできない飛び抜けた人は評価されにくい傾向があります。


評価制度はその構造上、細かい多様性やイレギュラーな変質者(良い意味で)には対応できていないので、独自の変態的な感性を持つ人の価値をそのまま受け入れることができません。


想像もつかないような努力の量を鼻歌交じりにやってのける人を評価することは想定していません。

だれもが諦めてしまう絶体絶命な場面をワクワクしながら乗り切るような人材を評価制度は想定していないのです。


つまり、周りからは理解されないレベルに信念を持っていて、誰からも見えないところでの日々の努力を変態的なほどしている人のことは、一般的な評価基準では評価しきれないのです。


余人をもって代えがたい人材とはまさにこういう人なのですが。

一般的にはこういう人が昇格しにくい社会構造がこの国にはあります。


こういう人こそが、今のコモディティ化した時代に組織を引っ張っていく人材のはずなのに。市場での「違い」を作るのが得意な人材のはずなのに。


その特殊性までは評価されないので、本当の価値が表に出ない(理解されない)というのが上述した仕組みの限界なのだろうと思います。




現リーダーの資質が問われているが...

そもそも評価する側のリーダーがそういう人ではないので価値を理解できないのです。


偉い立場の人が「ウチの社内にはそういう人がいない」と見えるのは、いないのではなくそういう人が登用されない構造になっているだけなのです。


そこにはいるのに埋もれているのです。評価されないだけなのです。

特別で変態的なセンスを持つ社員のことを「あいつはダメな社員」と先入観を持ち、それがメガネを曇らせているのです。


あるいは、入社当初はそうだったのに頭を叩かれ続けて丸くなってしまっただけなのかもしれません。


このような特殊な魅力やセンスを持っている人こそが市場での競争力を強化するのに欠かせない人材なのです。

なのに、残念ながら上記のような理由で、評価されることは構造上難しいのだと。


ちなみに、評価制度とは別に、それと並行して「例外」枠を作れば解決しそうです。

ただし、そうすると意思決定の透明性や納得感が下がり、そもそも公平性の担保を目的とした客観的な指標づくりのための評価制度を導入する意図そのものが揺らいできます。


つまり、評価制度導入の目的とそもそも矛盾するのです。


今、20年以上歴史がある中小企業が構造的に飛び抜けることが難しいのは、このような構造上の矛盾があるからだと思います。


この構造的な課題に早く気づき、変革の小回りが効く組織にするにはどうすべきか?という視点に立たなければなりません。


社員の公平感の担保はその後でも良いのではないでしょうか。


一つの具体策

ならばどうしたら良いのか?

解決策はいくつかあると思います。


1.雇用契約をジョブ型にして評価基準を数値化しやすくする。

2.一方で幹部候補には一般社員とは異なる評価基準を設けて分ける。

3.幹部の人事は民主的な意思決定ではなく、社長が自らの責任で任命する。透明感と納得感にこだわらない。


会社は営利団体ですからその存在理由は長期の利益を確保しつづけることです。

別の言い方をすると付加価値をあげることです。


付加価値は言い換えるなら「違い」を作ることです。違いを作りつづけることです。


この基本を今一度思い出す時なのではないでしょうか。

合理的であることや公平であることよりも「違い」「独自性」があることのほうが優先されるのです。


一方で、民主的で公平な意思決定プロセスは、組織や規模や業種に関わらず、突き詰めると同じような結論を生み出します。

つまり、他社と同じようなリーダーが生まれ、違いが生まれ難くなるということです。


そんな今の時代だからこそ、変態的な影の実力者をリーダーにすると一人勝ちできると思うのですが。

それは日本社会の構造上、実に難しいことなのかもしれませんね。


やりきろうと思ったら、それこそ変態的な意志の強さを持つ空気を読まないリーダーによってしか成し得ないのかもしれません。



評価制度は何のため?

評価制度を導入する目的である「社員の公平感を保つことで士気をあげ生産性を保つ」ことがそもそもズレているのだと思います。確かに聞こえはキレイなのですが。


これではある程度までは改善されますが、最終的には市場の中で競争力の強さを保つことは難しいです。


「みんなで一緒に」生産性をあげるという方針よりも、「いびつでアンバランスでもいいので他社との明確な違いを尖らせる」方向に進むことなしには、市場での競争優位を保ち、高い利益率を確保し続けるのが難しいのです。


やはり、それを推し進める変態的に意志の強いリーダーが必要なのでしょう。



最後までお読み頂き誠にありがとうございました。


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