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執筆者の写真ナカジマ

「人格を否定せず行動を正す」最強な叱り方

「何度言っても分からない奴だな!仕事をなんだと思ってるんだ!」

「いつになったらできるようになるんだ!やる気あるのか!」

「そんな姿勢だからお前はいつまで経ってもダメなんだ!」


現場のリーダーとして責任感があるあまり、過去にこれらのようなセリフを言った経験のある人は少なくないのではないでしょうか。

かく言う私も高校時代にチーム運営をした時はこんな感じでメンバーを叱っていたことを覚えています。


いわゆる「人格否定」に当たる一言ですね。

相手の自尊心を奪い、気力を失わせる言葉です。

叱る目的を考えれば、最も言う必要のない一言です。


これらの言葉は、相手の考える能力を奪うばかりか「上司の顔色をうかがうこと」も仕事のうちだと勘違いする人を増殖させてしまう一言です。

社内に悪い文化を作る根源となる一言だとも言い換えられます。


これらの言葉には、社内に新しい仕組みを導入しても、全てを無意味化してしまう悪しきパワーが潜んでいます。


そんな中、15年くらい前から「人格を否定せず行動だけを正しなさい!」と言われるようになりました。

これだけを聞くと、なるほどなぁと感じます。


日本の生産性の伸び率が海外に比べて遅れが顕著になってきた背景もあり、やっと昔のやり方にメスを入れようという動きが出てきたのです。


「人格を否定せず〜」そう言われると、たしかに理屈は理解できます。

その一方で「そんなこと言われたら問題社員を何と言って叱ったらよいのやら」そんな言葉があちこちから聞こえてきます。


では、具体的にどうしたら良いのでしょうか。




理想論は分かるが現実的にどうすれば

例えば、実際の現場で指示を守らず勝手な判断を繰り返し、同僚やお客様にまで迷惑をかける社員がいたとします。


その社員が見過ごせないトラブルを引き起こした場面をイメージして下さい。「これは、叱らなければならない!」そんな場面に遭遇した時には何と言って叱ったらいいのでしょうか?


これについて、具体策を示せる人は多くありません。

ググってもピンとくる具体的な答えは簡単には出てきません。


「人格を否定せず行動だけを正す」

こう言われて久しいのに、今なおこれを実践できる現場になかなか出会えません。

様々な専門家が、この抽象的な方針を鬼の首をとったように言うにもかかわらずです。



プライドの高い人の行動を一瞬で変える叱り方

***


「何をしてくれたんだ!この難しい任務はほかでもない信頼できるデビッドだからこそ任せたんだぞ!」

「おまえを誰より信頼して任せたオレの判断が間違ってたってことだな!できると信じた俺が悪いんだな!謝らせてもらおうか!」


こんな感じです。


このように叱ると、プライドの高いユダヤ人も涙目になり黙って聞いてくれます。それから決まってこう言うのです。


「ナカジマさんの判断は間違っていない。この難しい仕事は経験豊富で臨機応変に対応できる俺にしかできない仕事だ。今回は俺のミスだ。こういうこともある。だが次は必ずやってみせる。次もこのような難題があれば俺に任せるのが正しい判断だ。だからこれからも俺を信頼しろ!」と。


いかがでしょうか。

胸ぐらを掴んで顔を近づけて本気で叱りましたが、彼の自尊心が傷つくことも、意欲が削がれた様子もありませんでした。


これが、人格を否定せず行動を正す叱り方です。


***


28年前のことですが、私は外交官としてイスラエルへ3年間赴任しました。


その際、誇り高きユダヤ人とパレスチナ人とフィリピン人の先輩達を部下に持ち、本当に最強のチームを作りました。


赴任してすぐに理解したことがありました。

それは、チームのメンバーは、20代の若い上司の指示に対し「はい!」と言って文句を言わずに従う部下は一人もいないということでした。


それでもチームの責任者を務める以上は、任務を遂行するためには一定の指示やルールに従ってもらう必要がありました。

任務遂行のためにリーダーとしてチームを率いて結果を出し続けるのが当時の私の仕事だったのです。


いわゆる一般的な”日本の組織”とは異なり、自分の意志と判断と責任で動こうとするプライドの高い人達のプロ集団なのです。強制したところで若者の言うことを聞いてはくれません。


そんな中でも大使館では先輩達に「最強チーム」と言われる強いチームを作ることができました。彼らと一緒に働くことに喜びを感じ、難題が次々と振ってくる中で充実した時間を過ごすことができました。


では、宗教も文化も年齢も異なるメンバーが集まるチームを現地でどのようにマネジメントしたのでしょうか。




組織マネジメントの大前提は敬意と承認

私がリーダーとして心がけたのは、徹底して相手に敬意を払い承認し、それを言葉と姿勢で現したことです。

全ての判断基準と行動基準のベースにこれがありました。


そして、メンバーを仕事のできるプロとして認めるからこそ、こと細かく指示することは控え、仕事の詳細については彼らの判断に任せました。


彼らは、リーダーである20代の若者より現地の事情を良く知り、言葉は3ヶ国語以上使い、しかも年上で人生経験が豊富でした。


私が指示を出す際は、任務の目的とゴール、それと私達の責任を丁寧に伝えた上で、どうやって任務を遂行するかを大雑把に議論し互いに確認しました。


そして議論が終わり全員が理解したら「よし、任せた!思う存分実力を見せつけてくれ!」と背中を押して任せたのです。

これが基本姿勢でした。


とは言っても、仕事の相手が日本人であることから、文化の違うメンバーの身勝手な判断で予期せぬ行動をとることで相手に不都合を与えることがありました。後で部下の職務不十分をリーダーである私がお叱りを受けることはありました。


当初は、その度に本人を呼び出し「本気で」叱ったものです。

時には胸ぐらをつかむ勢いで叱ったこともありました。


ただし、その際に冒頭3行の言葉を部下に発することは決してありませんでした。

代わりにこう叱ったのです。


「何をしてくれたんだ!この難しい任務はほかでもない信頼できるデビッドだからこそ任せたんだぞ!」

「おまえを誰より信頼して任せたオレの判断が間違ってたってことだな!できると信じた俺が悪いんだな!謝らせてもらおうか!」


こんな感じです。


このように叱ると、プライドの高いユダヤ人も涙目になり黙って聞いてくれます。それから決まってこう言うのです。


「ナカジマさんの判断は間違っていない。この難しい仕事は経験豊富で臨機応変に対応できる俺にしかできない仕事だ。今回は俺のミスだ。こういうこともある。だが次は必ずやってみせる。次もこのような難題があれば俺に任せるのが正しい判断だ。だからこれからも俺を信頼しろ!」と。


いかがでしょうか。

胸ぐらを掴んで顔を近づけて本気で叱りましたが、彼の自尊心が傷つくことも、意欲が削がれた様子もありませんでした。


これが、人格を否定せず行動を正す叱り方です。


東大出身の先輩達から言われた言葉

当時、外交官の先輩たちから言われた言葉があります。


「彼等は私達がこと厳しく指示を出しても全く言うことを聞かないのに、なぜか中島さんが言うことだけは聞くんだよね!」

「もはや猛獣使いだよね!」

「叱っているのか褒めてるのかわからないね」と。


なんとかして、部下に「はい!(Yes, sir !)」と言わせたい。

「はい!」と言ってもらえないと、無意識ではあるが安心しないし心地良くない。


そんな先輩達にとっては、確かに「はい!」とは決して言わない彼らは猛獣に見えたのだと思います。

文化の違いを受け入れることより、自分達の「やり方」に従わせたいと無意識に求めていたのです。


相手が誰であろうと、目的は任務の完了であって従わせることではありません。


であるのなら、彼らの持ち味と経験、何よりこれまで自分の土地で生き抜いてきた生き様を尊重し、承認することで実力を発揮してもらうに越したことはないのです。


人格を否定してまで、自分の指示に従わせようとする姿勢は、その大前提として「自分が絶対正しい!」との偏った無意識な思い込みがあるのです。


部下を叱るのはあくまで一つの手段。

チームを率いるリーダーとしての任務を完了するための手段でなければならないのです。


なにも大きな声で叱らなくとも、不十分な成果を出す部下に対し「今回の仕事はいつも誰よりプロ意識が高い君らしくないんじゃないか」と声を掛ければ十分なのです。



ここまで読んでいただき「そう言われても上手くできそうにない!」と直感的に感じた方は、上手く叱ることを試みる前に、部下へ今まで以上に敬意を払い、承認することを心がけることからはじめてみてはいかがでしょうか。


みなさんは日頃から部下を叱ることがありますか?



最後までお読みいただきありがとうございます。

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